新元号「令和」。エスペラント語翻訳すると折角素敵なワードが出てきてたのに、誰が通報したのか?グーグルはスグ変更をかけたようだ。つまんねー
新元号は日本の古典「万葉集」から引用したとされるが、さっそく中国から「何を言うか!ネタ元はこっちの古典だ!」と反論。
興味深いのは、古典の内容。
宦官=霞が関
政府が出典として示したのは、万葉集の「梅花の歌三十二首」序文にある<初春令月、気淑風和〉の一節。この序文は、中国後漢の学者で、役人でもあった張衡(78~139年)の「帰田賦」を踏まえたものとされる。
「帰田賦」を口語訳すれば「田舎に帰ろう」といったところだが、<遊都邑以永久、無明略以佐時(都暮らしも長くなるが、世を良くする功績もない)>で始まる内容は、安倍首相がアピールする「ひとりひとりが輝く新しい時代」とは程遠い。政治の腐敗を嘆き、中央政府に愛想を尽かして故郷に帰る喜びをつづる厭世的な独白である。
元ネタになった部分の句は<超埃塵以遐逝 與世事乎長辭、於是仲春令月 時和氣清>。日本語に訳すと、「さあ、この塵芥の世界から抜けてはるか彼方に去り、生臭い俗世との縁を絶とう。折しも今は春も半ばの良き月だ。時はなごやか、空気も澄んでいる――」というような意味だ。
「後漢書」によれば、年少時から文才にたけた秀才で、天文学、数学、地理学などにも通じた張衡は、地方の役人だったが、都に呼ばれ、中央政府の官僚になる。
張衡が仕えたのは、6代皇帝の安帝だ。その治世は宮廷官僚の宦官が幅を利かせ、忖度や賄賂の横行を招いた。嫁の閻后も、側室の子を殺したり、縁故政治を増長させるなど、やりたい放題だった人物として評判が悪い。中央政府の腐敗に我慢できなかった張衡は順帝(8代皇帝)の時代に朝廷を辞し、「帰田賦」を書いたのだ。
実はこの記事、認識がズレている。
問題の所在は「政治家ではない」
当時、中国の官僚には、2種類の者たちがいた。
選抜試験ペーパーテストの科挙で選ばれた一般官僚と、宦官。
宦官は皇帝の召使い。皇帝の側近。皇帝の愛人たちに手を出せないように、シンボルを去勢された者たち。嫉妬心に駆られた生臭い、イレギュラーな存在。
国家の実権を握っていたのは、科挙官僚ではなく、帝国のウラ情報まで握り、国家を動かす実務を司った、宦官のほう。
中国の滅亡のパターンとして、皇帝が能力不足で宦官がチカラを持ち出すと、帝国は衰退し、異民族に攻め入られた。
今の日本に当てはめる。
憲法上「自由民主主義国家」のニッポンにおいて、公務員選抜の正当手続は、「選挙」。
当時の能力主義、科挙による官僚に当たるのは、むしろ国家の設計図である「憲法」で定めた、「選挙で選ばれた公務員」の国会議員、政治家。
現代における「宦官」は、選挙でなく、後付けの法律(国家公務員法)で作られた、憲法上の公務員ではないのに公務員と名乗る、既得権存在。
主権者による選挙によらず暗記とコネ(不正入学が極めて疑わしいが)で成り上がれるのにも関わらず、謀略により立法・司法・行政、国家三権を掌握した者たち。嫉妬心に駆られた生臭い、イレギュラーな存在。何者かは、言わずもがな。
面白い事が起こるハズ。
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「我が意志に従え」、だ。LOL