あふれちゃう!Shitholeオリンピック!

これは、下水管とウンコだけが知っている、東京の秘密についての物語

トーキョー・オリンピック。選手たちが泳ぐ予定の東京湾。ウンコ臭いのだとか。

下水道には分流方式と合流方式がある。

分流方式は、雨水と汚水を別々の管きょに流す排水方法。新しい設計の都市部では、雨水管と汚水管を、別々に埋める。さほど密集していない地域の街中だと、雨水は水路、汚水は下水管に流す。田舎だと、雨水は水路に、汚水は自宅に埋めた合併浄化槽で浄化してから、水路に流す。浄化槽を通せば、そのまま川に流せるくらいだから、飲む気はしないが、かなりマシな水になる。

合流方式は、雨水も汚水も、余計な水は全て同じ管で流してしまうというやり方。都市部の下水道も、最後は下水処理場。でっかい浄化槽で浄化してから放流。なんで海がウンコ臭くなってしまうのか?

大都会東京は、設計の古い「合流方式」。

下水道の埋め方にも2種類ある。開削方式と推進方式。開削方式は地面を掘って管を埋めてゆくやり方。推進方式は、掘削ドリルを使って横に穴を掘って、管きょを入れてゆくやり方。地面にビルディングだらけの東京は、もちろん推進方式。しかし想定外の巨大な石にぶつかると、時間を食ってしまう。キャパをオーバーしたからと、別の管をスグ埋めるなんてのは、今更無理な話。

問題。合流方式で人が増えすぎるとウンコやオシッコの量がキャパをオーバーする可能性はあるのだけれど、それより雨量が急に増える方がはるかにキツいんだわ。

設計で、流れるかどうか計算で求めるのだけれど、流れるようにするには勾配(高低差)が必要。人が増えたといっても、ニンゲンが1日に出すウンコやオシッコの量は大体決まってる。雨水と汚水、出てくる量は圧倒的に雨水の方が多くて、ボラティリティが極端。捌く予定の水の量が増えるなら、管を太く、勾配もキツめに必要になる。

でも設計の前提をオーバーしない限り、大丈夫なハズ。むかし、水が淀んでた、勾配の取りづらいところで水路を設計し、雨の日にシャバシャバ水が流れてるのを見て、感動した記憶がある。

しかし最近のようにゲリラ豪雨や大型台風が増えると、設計段階の前提が崩れてしまう。東京のは、いかんせん設計が古いのだわ。しかも急激な気象変動。先が見えない。

ましてや都会は地面が全面コンクリートとアスファルトで覆われてる。地面が水を吸い込んでくれない。表面は道路排水用の側溝しかない。その側溝の水も下水管行きなのだから、全ては既存下水管の処理能力頼み。あふれたら、ウンコやオシッコはそのまま海へ。

夏に突然ゲリラ豪雨。東京湾はウンコまみれ。

こんな街でオリンピックなんて、最初っから無理なんじゃね?

やめちまえ!

私は東京がキライだから言っているのではない。私は大都会東京が好きだ。特に歓楽街が好きだ。田舎は退屈。雑踏の中にいる方が、リラックス出来る。

責任はどこにあるか?クール・ジャパンとか、官僚主導、ダメダメになった今のニッポンを、世界に認めてもらいたい、霞が関だろ。彼らが、ニッポン全体を退屈にした。

ケーサツ利権。ジョウレイジョウレイで、歓楽街を退屈にした。コンプラ・コレクトネスの、官僚たち。アベノミクス。大企業優遇で、どんどん東京一極集中。満員電車の中は、ストレスまみれの労働者の群れ。吸いたいところでタバコも吸えない、退屈な街。地価上昇と増税で、生活コストだけ増えてゆく。

ああ下らねぇ。

都会は、昔のパリのように。ボヘミアン(自由人)だけの為に、設計すべきだ。

汲み取りの江戸時代。人が過剰になっても、下水道管なんて無かったから、過剰なウンコやオシッコは水路河川に垂れ流し。河川がウンコまみれになると病気が蔓延。屍体だらけになると、もっとややこしい病が蔓延。

当時の幕府のオエライさんたちは、街にワザと火をつけ、人減らしをやった。江戸が穢土(えど)になると、スクラップ・アンド・ビルド。

国際都市東京。人口が集中した今、同じ事を考える者がいても、可笑しくはないだろ。