権太の子分に乗っ取られた「男一匹ガキ大将」

マンガから読む日本の近現代史。

児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件

児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件wiki

事件の概要

大物右翼のフィクサーと呼ばれていた児玉誉士夫(当時65歳)はアメリカ合衆国の航空機メーカーのロッキード(現在のロッキード・マーティン)の秘密代理人として暗躍しており、全日本空輸にロッキードの旅客機を購入させるために政治工作した、所謂ロッキード事件の首謀者の一人であった。そのため、事件の中心人物と目され、衆議院で証人喚問がおこなわれるはずであったが、直前に病気を理由に出席しなかった。なお、児玉は脱税などにより3月13日に起訴されていた。

そうした中、東京都世田谷区等々力にあった私邸で静養中の3月23日午前9時50分頃、PA-28-140型機(機体記号:JA3551)が自宅に突入し爆発炎上した。この火災で児玉邸の2階一部が類焼し、家政婦が負傷したが、別室で就寝していた児玉本人は無事だった。

突入したのは東京都の調布飛行場を離陸した2機の内の1機で、直前まで機長とカメラマンら3人が搭乗したセスナ172M型機(機体記号:JA3732)と編隊飛行をしており、新宿上空でJA3551機の写真撮影を行っていた。その撮影を終えた帰途に突入したものであった。この機体の残骸から操縦士の遺体が発見されたが、航空事故ではなく覚悟の特攻という自爆テロ行為であった。この行為に対しアメリカのメディアは「最後のカミカゼ」などと報道した。

当時、児玉が経営する企業の役員を務めていた日吉修二によると「私が行ったときはまだ飛行機が庭先に突っ込んでいて、操縦士というか何とかさん特攻隊の真似をして、そのままうつ伏すように死んでる奴を見た」と話していた。

事件の背景

「特攻機」を操縦していたのは子役出身で映画『野良猫ロック』や日活ロマンポルノに「前野霜一郎」の芸名で出演していた俳優の前野光保(当時29歳)だった。

彼は児玉に敵対する左翼思想の持ち主ではなく、むしろその逆であった。かつては右翼の運動家であった児玉を尊敬し、三島由紀夫にも心酔していた。

そうした中、ロッキード事件に絡んで起訴された児玉に対し裏切られたと感じた前野は、彼を「利権屋」と断じ、「天誅を下すべき」だとの思いから特攻に及んだものであった。事件前に犯行計画を知人に話していたという。また、警視庁は背後関係はなく前野の単独犯と断定している。

前野は調布飛行場から午前8時50分に離陸したが、その前に「映画のため」と言って記念撮影をしており、その際に神風特攻隊の特攻服を身に付けていた。また、離陸時には「七生報国」と書かれた日の丸の鉢巻をしていた。彼は特攻直前最期の無線通信では「天皇陛下万歳!」と叫んでいた。

”警視庁”は背後関係はなく前野の単独犯と断定?
”其処”が極めて怪しいが?

前野霜一郎wiki

東京都渋谷区笹塚の布団屋に生まれる[1]。1959年(昭和34年)劇団ひまわりに入団、1962年(昭和37年)の『目をつぶって突走れ』で映画初出演する[2]。1967年(昭和42年)にアメリカに渡り、カリフォルニア大学の演劇科で演義の勉強を行う[3]。帰国後は日活のニュー・アクション映画などに多く出演。1971年(昭和46年)に日活がロマンポルノの制作を開始すると、当時の同クラスの専属俳優が次々と去って行く中、残留し主力男優として作品に多数出演。

私生活では1967年に女優の黒沢のり子と結婚するが1970年に離婚[3]。1972年にアメリカ人女性と再婚するも1975年に再び離婚している[3]。

1976年(昭和51年)3月23日、撮影用に借りていた[4]小型飛行機パイパー PA-28で、世田谷区等々力の児玉誉士夫邸に突入して死亡。29歳没。

出演作品

映画

  • 目をつぶって突走れ(1962年) – 三年生山脇 役
  • 交換日記(1963年) – 岡時彦 役
  • 現代っ子(1963年) – 石田健 役
  • 潮騒(1964年) – 林龍二 役
  • あゝ青春の胸の血は(1964年) – 林太 役
  • 青春前期 青い果実(1965年) – 佐野 役
  • 拳銃無宿 脱獄のブルース(1965年) – サブ 役
  • 恋人をさがそう(1967年) – 猿金 役
  • 花の特攻隊 あゝ戦友よ(1970年) – 少尉 役
  • 野良猫ロック ワイルド・ジャンボ(1970年) – デボ 役
  • いちどは行きたい女風呂(1970年) – 花咲順 役
  • 新宿アウトロー ぶっ飛ばせ(1970年) – メケメケ 役
  • ネオン警察 女は夜の匂い(1970年) – サブ 役
  • 男一匹ガキ大将(1971年) – 権の子分7 役
  • 野良猫ロック 暴走集団’71(1971年) – ヒムラー 役

映画「男一匹ガキ大将」

劇場公開日 1971年3月6日映画com

解説

少年ジャンプに連載中の本宮ひろ志原作の同名漫画の映画化。脚本・監督は「富士山頂(1970)」の村野鐵太郎。撮影は「少年」の吉岡康弘がそれぞれ担当。

ストーリー

西海高校の戸川万吉は、喧嘩が三度の飯より好きな暴れん坊だが、この西海高校には万吉に対抗する権太というもう一人の番長がいた。ある日、二人組の脱獄囚が、この小さな漁村に逃げ込み、万吉が恋をした、網元の姪岡野友子を人質に漁村小屋にたてこもった。友子は生れつき足が悪く、この漁村に静養にきていたのだ。ダイナマイトを持っているので誰も近よれなかったが、万吉はダイナマイトの炸裂にもビクともせず木刀一本をふりかざして殴り込み、二人組と大乱闘を演じたが、不覚にも格闘に夢中になり火のついたダイナマイトに気がつかなかった。あわやと思ったとき、その火を消したのは意外にも、自分で立つことも歩くこともできなかった友子であった。必死の思いが友子に不可能と思われることをやってのけさせたのだ。万吉はたちまち村の英雄となり、彼のまわりには子分がまつわりつき万吉一家が誕生した。そして万吉の前には得体の知れない合気道の達人の和尚が現われ、スパルタ教育の結果、万吉は権太さえも呑み込んでしまう程大きく成長した。ところが万吉一家に江戸っ子銀次というイナセな奴が入ってきた。この銀次、一声かければ百八十人もの子分を集められるといわれる東栄高校の番長松川が、西海高校を乗っ取ろうとして送り込んだ男なのだ。そんな時、東京に帰った友子の父親から、お礼に東京見物をさせたいとの手紙と、松川からの果し状が同時に届けられた。留守中の子分たちの身を案じた方吉は、単身敵地へと乗り込んだ。東京に行った後の事を思い、自分が犠牲になることにより子分の身が守られるならどんな仕打ちを受けてもいいと思ったのだ。その男意気が銀次の心を動かし、万吉と一緒に足腰のたたぬほどうちのめされた。やがて東京での生活を満喫して戻ってきた万吉は、松川が約束を守っていないことを知った。彼がいない間に、子分たちは松川に思いのままにされていたのだ。万吉は、松川との対決を心に誓った。留守中に四百人とふくれあがった東栄高校松川大番長との決闘の場に、わずか十四、五人の子分でのぞんだ万吉の度胸に驚ろいた松川は、血を見ることなく降伏を申し入れた。…

現実世界では、本来つまらない脇役たちが、海の向こうからフォース(強制力)を持った「いなせなやつ」が登場したばかりに、ドサクサで横から主役を乗っ取ってしまい、今の「納税の美徳」コンプラ・コレクトネス、面白くない退屈なニッポンが出来上がってしまったというオチ。

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