フリーメイソンの「友愛」の、ホントの意味


「友愛」と聞くと、思わずこの顔を浮かべてしまうんだが、冗談は横に置いといて

これは、99.99%以上のニンゲンが知らない、陰謀論者はもちろん、現役のメイソンリーですら知らないであろう、フリーメイソンの「友愛」について、深~いハナシ

それは古代シュメールに遡る

シュメール粘土板、第一タブレット

エンキの長男マルドゥクが、火星労働者イギギのボスであるシャムガズに唆され、アヌンナキ(神々)に対してクーデターを起こしたことに対し、
神々がマルドゥクの処遇を討議する場面を、主エンキが語る

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沈黙を破ってエンリルが口を開けた。処罰をすべきだ。悪人は羽根をむしられた鳥のようにすべきだ。
マルドゥクとナブが我々の遺産を奪おうとしているのだ。彼らから”天の二輪戦車の場所”を剥奪しよう!
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アヌは天の住まいから、この議論に大いに留意されていた。
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恐怖の武器”をこの1回だけ使おう。宇宙船の場所を破壊させ、民は命を助けてやろう。
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彼らに、わたしは神々の秘密を明かす。わたしが恐怖の武器の隠し場所を彼らに教える。
ひとりはわたしの、ひとりは彼の、2人の息子たちをエンリルは自分の奥の部屋に召集した。
ネルガルは、わたしの横を通り過ぎるとき、視線をそむけた。
ああ!わたしは声にならない声をあげた。兄弟が兄弟に敵対してしまった!”先の時代”は繰り返す宿命なのか?
エンリルは”昔の時代”の秘密を2人に明かしてしまった。
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兄弟が兄弟に向けることはしないし、どの地域にも使わないと誓われていたのに。
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エンリルの息子、戦士ニヌルタと、わたし自身の息子、ネルガルが、武器に毒を盛って大平野に放った。
光輝のあとに邪悪な風が生じようとは、我々は知るよしもなかった!彼らはいまや苦悶に泣き叫ぶ!
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ひとりまたひとりと、神々は自分の都を逃げ出した、自分たちの神殿を風のなすままにして。

エンキの失われた聖書、ゼカリア・シッチン

「友愛」とは、このような事情から

そして、皮肉にも、マルドゥクが支配宣言を行ったバビロンだけが、邪悪な風を逃れた

ところで、
ネットで「彼らに、わたしは神々の秘密を明かす」を検索してみると

口語訳聖書、ダニエル書、第二章
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2:25アリオクは急いでダニエルを王の前に連れて行き、王にこう言った、「ユダから捕え移した者の中に、その解き明かしを王にお知らせすることのできる、ひとりの人を見つけました」。 2:26王は答えて、ベルテシャザルという名のダニエルに言った、「あなたはわたしが見た夢と、その解き明かしとをわたしに知らせることができるのか」。 2:27ダニエルは王に答えて言った、「王が求められる秘密は、知者、法術士、博士、占い師など、これを王に示すことはできません。 2:28しかし秘密をあらわすひとりの神が天におられます。彼は後の日に起るべき事を、ネブカデネザル王に知らされたのです。あなたの夢と、あなたが床にあって見た脳中の幻はこれです。 2:29王よ、あなたが床におられたとき、この後どんな事があろうかと、思いまわされたが、秘密をあらわされるかたが、将来どんな事が起るかを、あなたに知らされたのです。 2:30この秘密をわたしにあらわされたのは、すべての生ける者にまさって、わたしに知恵があるためではなく、ただその解き明かしを、王にお知らせすることによって、あなたが心に思われたことを、お知りになるためです。

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バビロニアで円筒印章と呼ばれる、コロコロ転がして使うハンコが発掘されている

ネブカドネザルの円筒印章


どこかで見たことのあるカタチ??

ハンコは入れ子状になっており、こんな楽しそうなのも

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実は

聖書は旧約、新約どっちも、シュメール神話の断片をツギハギで作られた物語

旧約で「主」として登場するのは、「地球の主」エンキと「命令の主」エンリル
アダムとイブの、エデン追放劇で登場する「ヘビ」は、エンキとマルドゥクの親子の話が、ごっちゃになっている
遺伝子操作で創った原始労働者の男女に生殖機能を与え、2人がアソコを葉っぱで隠しているのをエンリルが見て、
「お前は創造主になったつもりか!」と怒鳴られたエンキを象徴するのがヘビであり、
婚約者を謀殺し、イナンナとの間に敵意を置いてしまったマルドゥクは「邪悪な蛇」とされた

新約では
エンキさんはガブリエルやヨハネという名で登場
ヨハネの子シモンで初代教皇とされるペテロはマルドゥク、ドカチンのイギギに唆され、偶像化され、思わぬ場所に連れていかれた
教会を作ったパウロは、マルドゥクを唆した、火星のドカチンのボス、シャムガズ
イエスの母であり娼婦であり妻であるマリアは、謀殺されたエンキの子ドゥムジの婚約者であり、ニンゲンとも性的関係を持ったイナンナ

そしてイエスとは、
冥界下りで仮死状態になり生き返ったイナンナであり、
イナンナの婚約者でマルドゥクに謀殺され、イナンナがその復活を信じたドゥムジであり、
長男のマルドゥクが地球の王となる事を望み教育したエンキであり、
最終的にはエンキが人間女性とのセックスで誕生させた自分の子であり(人の子であり神の子)、
地球の宿命を任せたニンゲン全般のことである

で、
神々が滅ぼそうとしたマルドゥク派の黒幕、ドカチンボスであるシャムガズ(パウロ)の思想は、

口語訳聖書、(パウロから)ローマ人への手紙、第13章
13:1すべての人は、上に立つ権威に従うべきである。なぜなら、神によらない権威はなく、おおよそ存在している権威は、すべて神によって立てられたものだからである。 13:2したがって、権威に逆らう者は、神の定めにそむく者である。そむく者は、自分の身にさばきを招くことになる。 13:3いったい、支配者たちは、善事をする者には恐怖でなく、悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないことを願うのか。

つまり、現在の社会の基盤となっている

権威こそ、諸悪の根源

これまでのニンゲンの歴史というのは、宗教や国家をバックに、カネやコネにモノ言わせて権威を手に入れたバカが威張り、いっぽうで愚民は偶像である「権威」なんぞありがたがって、「権威」がカネ儲けのために作った法律に従うという、真の神の意志に背く行為を、ずーっとやってきたワケだ!

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神話がシュメール起源なのは、世界中、例外は、無い

日本の神話では、
神殿にウンコをまき散らし、皮をひん剥いた馬を投げ、機織りの娘がびっくりして道具でオマ○コを突き刺す(何をやってたのか?)事件を起こした、スサノオがマルドゥク、
それを「スサノオにも考えがあるのだろう」と傍観していたアマテラスはエンキさん、
岩戸に隠れたアマテラスはアヌ王、
岩戸を閉めた2人の神がニヌルタとネルガル、
出てきたアマテラスがイナンナ(あるいはイシス?)、
そして物語では特に活躍しない、存在するだけのツクヨミもエンキさん

で、

古代神話の構造から推察する、日本精神なるもの

河合隼雄 中空構造日本の深層
ごくかんたんにいうと、河合が注目したことは、『古事記』の冒頭に登場する三神タカミムスビ・アメノミナカヌシ・カミムスビのアメノミナカヌシと、イザナギとイザナミが生んだ三貴神アマテラス・ツクヨミ・スサノオのうちのツクヨミとが、神話の中でほとんど無為の神としてしか扱われていないということである。
アメノミナカヌシもツクヨミも中心にいるはずの神である。それが無為の存在になっている。これはいったい何だろう、おかしいぞという疑問だった。

もうひとつ、典型的な例がある。天孫ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの間に生まれた三神は、海幸彦ことホデリノミコト(火照命)、ホスセリノミコト(火須勢理命)、山幸彦ことホオリノミコト(火遠命)であるのだが、兄と弟の海幸・山幸のことはよく知られているのに、真ん中のホスセリの話は神話にはほとんど語られない。

このことから河合は日本神話は中空構造をもって成立しているのではないかと推理した。簡単にいえば“中ヌキ”である。この推理はいささか性急なものであるが、当時のぼくには、このような直観的な見方こそがある種の本質をつけることがありうると見えた。

河合は書いてはいないが、神話構造だけではなくて、日本には多くの中空構造がある。だいたい神社がそうなっている。神社というものは中心に行けばいくほど、何もなくなっていく。一応は中心に魂匣(たまばこ)のようなものがあるのだが、そこにはたいていは何も入っていないか、適当な代替物しか入っていない。また、鏡があるが、これはまさに反射するだけで、そこに神という実体がない。そればかりか、そもそも日本の神々は常住すらしていない。どこからかやってきて、どこかへ帰っていく訪問神なのである。折口信夫が客神とかマレビトと呼んだほどだった。

古代において井戸が重視されていたこと、死者を葬るのは山中他界といって山の途中であったこと、宮中というものが大極殿と内裏に分かれてしまっていること、こうしたことも日本の社会構造や文化構造に中心が欠けていることを暗示する。
そのようなことはぼくも以前から感じていたのだが、そこを河合は『古事記』の叙述にひそむ神話的中空構造としてズバリ抜き出したのだった。
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ところで河合は日本の深層が中空構造をもっていることを、必ずしも肯定しているのではない。そこには長所と短所があると言っている。
そこで、こんなふうに説明した。

[1]中空の空性がエネルギーの充満したものとして存在する、いわば無であって有である状態にあるときは、それは有効であるが、中空が文字どおりの無となるときは、その全体のシステムは極めて弱いものとなってしまう。
[2]日本の中空均衡型モデルでは、相対立するものや矛盾するものを敢えて排除せず、共存しうる可能性をもつのである。

結局、河合はこのような推理のうえで、日本が中空構造に気がつかなかったり、そこにむりやり父性原理をもちこもうとすることに警鐘を鳴らした。
中空構造仮説が独創的であるわりには、この警鐘はふつうすぎるところがあるが、ぼくとしてはこの議論をひとまず継承するところから、日本社会を史的に問題にしていくことを勧めておきたい。

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フリーメイソンの思想と失われた日本精神は、一つなのかもしれない