三島由紀夫が「天皇の神性」に拘った本当の理由

神が居なければ、エロティシズムが復活しない

子どもの頃から欧米カブレだった私は、「ニッポンはなぜこんなにダサいのだろう?」と思ってたのだが、
この、ミシマ生前最後の対談は、興味深い。

彼の行動の理由とメカニズムが、なーんとなく解ったような。死後の彼は阿頼耶識の中へ。

補足。ミシマの友人、五島勉氏によれば、ミシマは死の直前、インドへ。いったい何を知ったのか?その後間もなくの事件によって、誰にもその成果を伝えられなかった、「謎のインド紀行」。

10数年後、後追いで五島氏が見付けたのは、「ASKA」という失われた古代遺跡に、日本人に似た現地人。

幻の超古代帝国アスカ―ついに発見された人類最古の地球文明 (ノン・ブック)

失われたシュメル時代の「第三地域」。日本の過去の何かを悟ったか?

話を戻し、今の日本の問題の本質は、「絶対者が不在」であること。
=エロティシズムの欠落=美の欠落→ダサダサ・ニッポン。美意識の無い「神を騙る者たち」が支配する文化圏。

絶対があっての相対。

絶対が無いのに、相対(社会)だけが有るかの如く、官僚機構がプロパガンダ。「勤労の美徳」で、karoshi重税地獄。それに対し、「仕方ない」と、諦めて従う国民。

何時からか?と言えば、私に言わせれば、天皇の権威を利用し、官僚支配が始まった、明治期から。
そんなんで、欧米に到底勝てない。
てゆーか、地球文明全体を考えれば、美意識の無いヤツラを勝たせてはいけない。

さらに、戦後、時が進むほど、ニッポンは尚酷く。

戦後、日本人は、タテマエ国民が絶対者の自由民主主義、アメリカに憧れた。それでも80年代まで。
平成に入り、どうやって湧いたのか?アメリカも日本官僚みたいなコンプラ・コレクトネス勢力の登場で、ダサダサに。

ニッポンを「ダサダサ」から抜け出さすには、「絶対者」が必要。
それは必ずしも天皇である必要は無い。
今更王さまとか殿さまが登場した所で、「お前何様?」としか思わない。

現行憲法では天皇が権威を譲った「国民が絶対者」だから、誰でも良いのだ。絶対者だらけで良い。

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