むかしむかし星座をずーっと眺めてたら、子分たちに権力を乗っ取られ、思わぬところへ連れて行かれた男の物語・・・
唯一の神を名乗った男
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「わたしはエンリルとして、支配権を持ち法令を司り、ニヌルタとして鍬と戦闘を司る。
アダドとして稲妻と雷を司り、ナンナルとして夜を照らし、わたしはウツ、すなわちシャマシュであり、ネルガルとして”下の世界”を統治する。
わたしはギビルとして黄金の奥深さを知っており、どこから銅と銀が出るか私が見つけた。
ニンギシュジッダとして数とその数え方をわたしは命じ、天はわたしの栄光を示している!」このような宣言に、アヌンナキの指導者たちは非常に動揺した。
マルドゥクの兄弟たちはエンキに伝え、ネルガルはニヌルタたちに自分たちの懸念を伝えた。「一体、何に取り憑かれているのだ?」
エンキは息子マルドゥクに言った。
「お前の主張は、無法にも程がある!」
「天が、天がわたしの覇権を示しているのです!エンリルの星座、“天の牡牛”は彼の子孫によって惨殺された。天ではわたしの時代、“牡羊の時代”がやって来るのです。その前兆に、疑いの余地はありません!」
fromエンキの失われた聖書
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公にされた、他の資料から
預言者
洗礼者ヨハネwiki
洗礼者ヨハネ(せんれいしゃヨハネ、ヘブライ語: יוֹחָנָן הַמַּטְבִּיל, Yōḥānān ha-Maṭbīl, 羅: Ioannes Baptista, 希: Ἰωάννης ὁ βαπτιστής, 伊: Giovanni Battista, 英: John the Baptist, 独: Johannes der Täufer, 仏: Jean le Baptiste, 西: Juan el Bautista, 蘭: Johannes de Doper, 紀元前6年から前2年頃 – 36年頃[1])は、『新約聖書』に登場する古代ユダヤの宗教家・預言者。個人の回心を訴え、ヨルダン川でイエスらに洗礼(バプテスマ)を授けた。『新約聖書』の「ルカによる福音書」によれば、父は祭司ザカリア、母はエリサベト。バプテスマのヨハネ、洗者ヨハネとも。正教会ではキリストの道を備えるものという意味の前駆(Forerunner)の称をもってしばしば呼ぶ。日本ハリストス正教会での呼称は前駆授洗イオアン(ぜんくじゅせんイオアン)。出生と洗礼活動
『ルカによる福音書』ではヨハネの母エリサベトとイエスの母マリアは親戚だったという(ルカ1:36)。同福音書においては、ヨハネは天使によってその誕生を予言されている。
『マタイによる福音書』3章によればヨハネは「らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物」とする人物であった。ヨルダン川の河畔の「荒野」で「神の国」が近づいたことを人びとに伝え、人びとに「悔い改め」を迫って、罪のゆるしに至る洗礼を授けていた。西暦28年ころにはナザレのイエスにも洗礼を授けた。イエスはこののち、ヨハネによって創始された荒野での洗礼活動に入っている。なお、ヨハネが求めた「悔い改め」とは道徳的な改心ではなく、むしろ、従来の当時のユダヤにおける人間の生活上の価値基準を180度転換すること、文字通りの「回心」であった。ヨハネは、ファリサイ派など当時のユダヤの主流派が、過去において律法を守って倫理的な生活を送ってきたことを誇り、それを基準として律法を守らない人びと、あるいは、貧困などによって守りたくても守ることのできない人びとを差別し、穢らわしいものとして蔑む心のありようを「罪」と考えたのである[2]。
なお、『ヨハネによる福音書』1:35では、他の福音書でもイエスの最初の弟子とされるシモン・ペトロとアンデレが、以前はヨハネの弟子であったとしている。
誕生(グレゴリオ暦・修正ユリウス暦使用教会で6月24日)(ユリウス暦使用教会で7月7日)
なお6月24日はカトリックなどにおける彼の聖名祝日となっている。
6月24日wiki
6月24日(ろくがつにじゅうよっか、ろくがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から175日目(閏年では176日目)にあたり、年末まであと190日ある。誕生花はバラ、バーベナ。
ヨハネの子シモン・ペトロ
ヨハネによる福音書
21:15彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。 21:16またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。 21:17イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。 21:18よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。 21:19これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
ペトロwiki
本名はシモン(ヘブライ語読みでは「シメオン」שמעון。「シモン」は「シメオン」の短縮形)であるが、イエスにより「ケファ」(Kêpâ、アラム語で岩の断片、石という意味)というあだ名で呼ばれるようになった。後に同じ言葉のギリシア語訳である「ペトロス」という呼び名で知られるようになる。
パウロも書簡の中で、ペトロのことを「ケファ」と呼んでいる。この名はイエスが「私はこの岩の上に私の教会を建てる」[3]と言ったことに由来している。この一節は全ての共観福音書に見られるが、ただマタイのみが「天の国の鍵」をペトロが受けるだろうとしている。
『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』によればペトロはガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、イエスに声をかけられ、最初の弟子になった。
『ルカによる福音書』ではイエスとの出会いはゲネサレト湖の対岸にいる群衆への説教に向かうイエスが彼の船を使った時とされる。伝承では、ペトロはイエスと出会った時には既に比較的高齢であったという。共観福音書はいずれもペトロの姑がカファルナウムの自宅でイエスに癒される姿を記しており、ここからペトロが結婚していたことが分かる。
ペトロは弟子のリストでも常に先頭にあげられており[8]、イエスの問いかけに弟子を代表して答えていること[9]などから、イエスの存命中から弟子たちのリーダー的存在であったことがうかがわれる。また、主イエスの変容(姿が変わって神性を示した出来事)をペトロはヤコブとヨハネの選ばれた三人だけで目撃している。
ヨハネ信者と創造神プタヒル
マンダ教wiki
教義
典型的なグノーシス的二元論で、光の世界の下等神プタヒルが自らを創造主であると錯覚し、闇の世界の助けにより地上と人間を創造したとされる。闇の世界の物質から作られた人間の肉体は闇に属しているが、それだけでは動かなかったため、光の世界に起源を持つ魂がプタヒルにより封入された。これらの所業により、プタヒルは光の世界の最高神から追放を受ける。
天界の水は地上では「活ける水」すなわち流水として流れている。流水による洗礼や信仰儀礼の遵守を生きているうちから行うことによって死後光の世界に帰りやすくなる。その意味で洗礼はキリスト教のように一回限りのものではなく、何度も行うものである。当初の教義では天界の水はヨルダン川に注ぐとされていたが、現代のマンダ教徒はユーフラテス川などをヨルダン川に見立てて洗礼を行う。
アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマドを闇の世界から送られた偽の預言者とみなし、人類最初の人間であるアダムとエヴァは同時に誕生したとする。最高神の命を受けたアベル、セト、エノス、洗礼者ヨハネが真実を伝えようとしていたとする。またエジプトでモーセを迫害したファラオを正義の王とする。イスラーム支配下に置かれた後は、啓典の民としての体裁を整えるために、洗礼者ヨハネを教祖に位置付けている。マンダ教自身が安全保障上の理由でサービア教徒を自称したか、もしくはイスラーム側の誤解によっていつしかサービア教徒と見なされるにいたった。中世のビールーニーの著作のひとつではマンダ教徒をサービア教徒と見なしている[2]。
死後の魂は、第3位の神アバトゥルの審判を受け、認められると光の世界に帰ることができる。世界の終末には、エノスがイエスと対決して打ち破り、地上と惑星は地獄に落ちて世界が浄化される。
プタハwiki
プタハ(Ptah)は、古代エジプトの都市メンフィスで信仰された創造神。プターとも呼ばれる。
エジプト神話の鍛冶や職人の守護神ともされ、セクメトを妻に持ち、ネフェルトゥムの父とされる[1][2]。鍛冶で使う鉱物は地下資源であることから、タテネン(英語版)など地下世界の神とつながりを持つ。[要出典]また後世では、冥界の神とされたオシリスと結び付けられた[3]。
プタハを世界創造の神とするメンフィス神学という独自の神話体系を持っていた[4][2]。その内容は、シャバカ石(英語版)と呼ばれる碑文によって知られている[5]。
闇を好む神でもあるとされ、アブ・シンベル神殿に祭られた神々の像の中で、一つだけ一年を通して日が当たらない位置に祭られている。[要出典]
アンク (Ankh)、ワス(ウアス)杖 (Ouas)、ジェド柱 (Djed pillars) を組み合わせた杖を持つミイラの姿で表される[4]。
アピス牛はメンフィスではプタハの分身とみなされて崇拝された[6][7]。新王国時代の頃には、アピス牛としてこの世に現れるとも信じられて、さらに多くの地域で崇拝された[8]。
来たるべき牡羊座時代の支配者「ラー」
(fromエンキの失われた聖書)
”2つの峡谷の土地(エジプト)”には、マルドゥクの支配の下、第2の地域が樹立された。そこはマガン(エジプト)、“滝になって落ちる場所”と呼ばれていた。しかし、言語が混乱させられて以来、その地域の人々によってヘム・タ、“暗褐色の土地”と呼ばれた。そして、アヌンナキはネテル(ネフィリム)“守護監視者”と呼ばれた。マルドゥクはラー、“明るい者”として、エンキはプタハ、“開発者”として崇拝され、ニンギシュジッダはテフティ(トート)、“神の測定者”として想起された。彼についての記憶を消すため、マルドゥクは“石のライオン”の姿をしたスフィンクスを、自分の息子ナブの姿に変えた。
エンキはハピ(ナイル)の水流をマルドゥクと彼の民のために制御し、肥沃な土壌はすぐに豊作となり、人と畜牛が増殖した。“12の天体の中で偉大なもの”として、エンキはマルドゥクに牡羊座を割り当てた。
美女のマンチラで主権と王権、奪われる
イナンナが到着すると、イシムドが言われたように出迎えた。エンキは彼女に会うと、その美しさに圧倒された。イナンナは宝石で飾り立て、薄いドレスから体の線が透けて見えた。彼女がかがむと、エンキは彼女の外陰部に惚れ惚れした。2人はワインを飲み、ビール飲み競争をした。
「“メ”を見せて、“メ”を私の手に握らせて?」と戯(たわむ)れるようにイナンナはせがんだ。ビール飲み競争をしながら、エンキは7回、“メ”を握らせた。主権と王権、神殿での司祭権と筆記権の神聖な公式、愛の作法のためや交戦のための“メ”を、エンキはイナンナに渡した。音楽と歌のため、木工と金属と貴石(きせき)と、文明化した王国に必要な94の“メ”を、エンキはイナンナに渡した。
イナンナは戦勝品をしっかりと握り締め、まどろんでいるエンキの下を抜け出した。そして、“空の船”まで急いで行き、舞い上がった。エンキはイシムドから起こされると、イナンナを捕まえるよう、イシムドに命じた。イナンナの住居があるウヌグ・キ(ウルク)に近付いたところで、イナンナの“空の船”はイシムドの乗ったエンキの“空の船”に阻止された。イナンナがエリドゥのエンキの下に連れ戻された時、“メ”は彼女の手元には無く、ニンシュブルが“アヌの家”に持って行った後だった。
壊された天国への階段、通じない言葉
マルドゥクはこの話を聞き、カンカンになった。「屈辱はもうごめんだ!」とマルドゥクはエンキに怒鳴った。マルドゥクは、エディンにマルドゥクのための神聖な都市をすぐに造るよう、エンリルに要求した。しかし、エンリルは聞く耳を持たなかったので、マルドゥクは宿命を己の手に握った。ウヌグ・キが選ばれる前にアヌの到着のためにと考えられていた場所へ、ナブはイギギとその子孫を呼び集めた。そこに、マルドゥクのための神聖な都市、“空の船”のための場所を築くために。彼の信奉者はそこに集まったが、建築資材となる石が無かった。マルドゥクは、代わりにレンガを作る方法を教えた。それを使って、頂上が天にも届く塔を造ろうと目論んだ。
その計画を阻止するため、エンリルが現場へ急行し、マルドゥクを懐柔しようとした。しかし、エンリルは失敗した。
「マルドゥクは許可されていない“天への門”を建てている。彼は地球人にそれを託しているのだ!」とエンリルは息子たちとその子孫に言った。
「これが達成されれば、人類にできないことは無くなってしまう。この邪悪な計画は阻止せねばならない」とニヌルタが言い、全員、それに賛成した。
ニブル・キからエンリル一族がやって来たのは、夜のことだった。彼らは“空の船”から炎と硫黄を雨のように降らせ、塔と野営地全体を完膚なきまでに叩きのめした。その後すぐに、この指導者と信奉者たちを国外に追い散らすことをエンリルは決めた。それにより、彼らの意思疎通を混乱させ、一致団結を砕くために、エンリルは決定した。
「今まで、地球人は1 つの言語を喋っていた。たが、これ以降、私は彼らの言語を混乱させる!彼らは、お互いの言うことが解らなくなるのだ!」地球の年で数えて380 年目に、この事件が起きた。エンリルは、それぞれの地域に異なる言語と文字を与え、一方が他方を理解できないようにした。
あとは音楽で・・・