Lucifer’s son
キリストwiki
ヘブライ語「メシア」での意味は「膏(あぶら)を注がれた(塗られた)者」「受膏者」。古代イスラエルにおいては、預言者、祭司、王などの就任に際して膏を塗る習慣があった。キリスト教においてキリスト(メシア)は、特にこの三つの職務(預言職・祭司職・王職)を併せ持つナザレのイエスを指す称号として用いられ、ナザレのイエスはイエス・キリストと呼ばれる[1]。すなわちキリスト教ではナザレのイエスがキリストであると信じられている。イエス・キリストについては、同時代の大部分の人物よりも遥かに多くの確かな情報がある[2]。
要は「油を塗られた人」
さらに起源を遡ると・・・
2人の密偵たちがイナンナを”上の世界”に連れ戻そうとしていると、イナンナはドゥムジの死んだ身体を一緒に運んでいくように指示した。
”下の方のアブズ”の7つの門で、イナンナには装具と持ち物が返された。
”黒い土地”にあるドゥムジの住まいに、若き彼女の恋人を連れて行くように、彼女は密偵たちに指示した。
そこで彼を真水で洗い、香しい油を彼に塗り、赤い経帷子を着せ、ラピスの厚板の上に彼を安置した。
それから、彼を眠りにつかせる場所を岩に掘り出した。そこで”眠りから覚める日”を待つために。
エンキの失われた聖書
創世記3:15
わたしは、おまえ(邪悪な蛇)と女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。
しかし真実というものは、信者からお布施(税)を徴収する坊さんにとって、都合が悪い。
ルシファー (Lucifer、ルキフェル、ルシフェルとも) は、明けの明星(金星=ヴィーナス)を指すラテン語であり、光をもたらす者という意味をもつ悪魔・堕天使の名である。
日本だと
ひふみ神示 第七巻 日の出の巻
第一帖 (二一四)
岩戸は五回閉められてゐるのざぞ、那岐(なぎ)、那美(なみ)の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時と、大切なのは須佐之男神様に罪着せし時、その五度の岩戸閉めであるから此の度の岩戸開きはなかなかに大そうと申すのぞ。
では、キリストの”再来”とは?
イナンナの怒りはとどまるところを知らなかった。彼女は自分の武器でマルドゥクの手下を手当たり次第に殺した。人々の血がかつて無いほど、川のように流れた。
ひふみ神示 第八巻 磐戸(一八十)の巻
第十帖(二四六)
洗濯急げよ、掃除急げよ、家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気付けておくぞ、村も国々も同様ぞ。女のメグリはコワイのざぞ。
そして最後に、神の軍勢を引き連れてやって来る。
奴らがむやみに欲しがった国を消し去り、罪深い街をボコボコにしてやる!ネルガルは激怒して声を荒らげた。
キリストの再来=ルシファーの子=アポローン
今の現実に落とし、具体的理由。
官僚どもは「福祉のため」なんてウソついて税金取り立てるくせに、自分らだけ優遇しやがって。なんだ憲法に「国民が主権者」と書いてあるじゃねぇか!下僕のくせに。天下り退職者含め、おめーら持ってる金目のもの一切合切、国民に返しちまえ!である。
つまり
ひふみ神示 第十三巻 アメの巻
第二帖 (三三六)
基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ
大事になってしまうのは、うお座の時代において、「邪悪な蛇」の信奉者が、多くなり過ぎたから。迷惑なこったい。
要するに「キリスト=救世主」とは、一般で語られるイメージとは全く違って、地球人の9割方が信じ切ってしまっている、ペテロ(マルドゥク)とパウロ(ナブ)の発明した、「いかさま法(政治)思想」から派生した、メインストリーム勢力、権力とか、権威とか、偽善とか、善悪の峻別とかいったものを、ボコボコに破壊してくれるという、とーっても有難い存在なのでした!