転がるベンベン石


この事件、
レクサスもったいねー。
権威あるのヤメ検弁護士人身事故。

18日午前7時20分ごろ、東京都港区白金6丁目の都道で、元東京地検特捜部長の川達紘弁護士(78)=神奈川県鎌倉市=が運転する乗用車が、ガードパイプをなぎ倒して歩道にいた男性(37)をはね、道路脇の店に突っ込んだ。男性は搬送先の病院で死亡が確認された。

警視庁高輪署によると、川弁護士も右足を骨折し病院に運ばれた。同署は運転操作を誤った可能性があるとみて、川弁護士から当時の状況を聴くなどして調べる。

死亡した男性は東京都足立区の自営業堀内貴之さん。現場は片側1車線の見通しの良い直線。

川弁護士は1989~91年、東京地検特捜部長を務めた。

2018/2/18 14:20
共同通信
https://this.kiji.is/337806149880382561

石といえば・・・

「石」と呼ばれた男

ペトロ(生年不明 – 67年?)は、新約聖書に登場する人物で、イエス・キリストに従った使徒の一人。シモン・ペトロ、ペテロ、ケファともいわれる。聖人の概念をもつ全てのキリスト教諸教派(正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・ルーテル教会)において聖人とされ、その記念日(聖名祝日)は6月29日(ユリウス暦を使用する正教会では7月12日に相当)である。

本名はシモン(ヘブライ語読みでは「シメオン」שמעון。「シモン」は「シメオン」の短縮形)であるが、イエスにより「ケファ」(Kêpâ、アラム語で岩の断片、石という意味)というあだ名で呼ばれるようになった。後に同じ言葉のギリシア語訳である「ペトロス」という呼び名で知られるようになる。

パウロも書簡の中で、ペトロのことを「ケファ」と呼んでいる。この名はイエスが「私はこの岩の上に私の教会を建てる」[3]と言ったことに由来している。この一節は全ての共観福音書に見られるが、ただマタイのみが「天の国の鍵」をペトロが受けるだろうとしている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AD

出来の悪い弟子

ヨハネによる福音書

1:39イエスは彼らに言われた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。そこで彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊まった。時は午後四時ごろであった。
1:40ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
1:41彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。
1:42そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」。

21:15彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
21:16またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
21:17イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。
21:18よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。
21:19これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
http://bible.salterrae.net/kougo/html/john.html

マタイによる福音書

16:14彼らは言った、「ある人々はバプテスマのヨハネだと言っています。しかし、ほかの人たちは、エリヤだと言い、また、エレミヤあるいは預言者のひとりだ、と言っている者もあります」。 16:15そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。
16:16シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。
16:17すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。 16:18そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。
16:19わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
16:20そのとき、イエスは、自分がキリストであることをだれにも言ってはいけないと、弟子たちを戒められた。
16:21この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。
16:22すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。
16:23イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html

エンキの子マルドゥク

マルドゥク(Marduk、マルドゥーク、マルドゥック)は、古代メソポタミア神話の特にバビロニア神話などに登場する男神。バビロンの都市神でバビロニアの国家神[1]。後にエンリルに代わって神々の指導者となり、アッカド語で「主人」を意味するベールと呼ばれた[2]。『エヌマ・エリシュ』曰く、世界と人間の創造主でもある。

容姿
メソポタミア神話に語られる神々は大半が擬人化しているが、マルドゥクに至ってはこれに限ったことではなく、その姿は異相であった。4つの目と耳(もしくは2つの頭)を持ち、唇が動けば火を吹き出し、背は神々の中で最も高く、四肢も長かったというが、こういった容貌を記した『神学的注釈書』では、次のように表現されている[3]。

彼の頭髪、それは御柳、彼の頬髭、それは扇、彼の足首、それは林檎の木、
彼のペニス、それは蛇、彼の腹、それはリリス太鼓、彼の頭骸骨、それは銀彼の精液、それは金……
— 『最古の宗教 古代メソポタミア』法政大学出版局
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%AF

・・・嘘盛杉

元祖偶像崇拝チンコミサイル

ベンベンwiki

ベンベンとは古代エジプトのヘリオポリス創世神話において、原初の水「ヌン」から最初に顔を出した、そして神が最初に降り立った、原初の丘のこと。大地の基。世界の始まりの地。

ラーはその誕生の際にベンヌの姿をとり、原初の丘「ベンベン」の上にとまったとされる。このような信仰は既に第1王朝の頃には存在していたようである。

エジプト第12王朝のアメンエムハト3世のピラミッドのキャップストーン。カイロのエジプト考古学博物館所蔵
碑文の内容
「話される言葉 : 彼が天空を渡るとき彼が地平線の支配者を見るために、上・下エジプト王、両国の支配者、ニーマートラーの視界を開け!彼が太陽神ラーの息子、アメンエムハトを神、永遠の支配者、沈まないものとして現れさせますように。」

太陽光線あるいは原初の丘「ベンベン」を模した四角錐の石造記念物を「ベンベン石」(Benben stone)と呼ぶ。

本来、ベンベン石の表面は鍍金されており、太陽の光に照らされると、あたかもそれ自身が光を発するかのように輝いたという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%B3

真相

・・・
マルドゥクは自分より年長者たちを祀る聖なる都を築いた。
ニビルの王に敬意を表したアンヌ(オン、ヘリオポリス)、その中のプラットホームの上にエンキのための神殿住居を建てた。
その頂上は内側が高い塔になっており、尖ったロケットのようにそびえていた。
その聖堂に、マルドゥクは自分の“空のはしけ船”の上部を置いた。
それはベンベンと呼ばれ、“数え切れない年月の惑星”から彼が旅した時に乗ったものだった。
新年の日、王は高僧として祝賀を執り行い、一番奥の“星の部屋”に入り、ベンベンの前に供え物を置くのである。
fromエンキの失われた聖書

黄泉のチカラ

エラ神話

『エヌマ・エリシュ』に伝えられているマルドゥクの英雄的活躍から一変、異の文学性を教えるのが『エラ神話(フランス語版)』である。この説話においてマルドゥクは、老齢に差し掛かって落ちぶれた支配者のように描かれ、若い頃の輝かしさを微塵も残していない[7]。エラ、エッラ (英語版)(=ネルガル)に騙されて支配者としての権力を譲渡してしまい、血で汚された自身の神殿には恐れて入ろうともしなかった。

こういった滑落は、『エヌマ・エリシュ』において年若いマルドゥクを絶対的な英雄として伝えているのと同様に、今度は年老いたマルドゥクがおとしめられる側という分かりやすい描写となっており、意図的な作風である[7]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%AF

黄泉の力には勝てねぇ!

泣きじゃくる神

・・・
イブル・ウムがハランを出発するやいなや、マルドゥクがそこにやって来た。
彼も神聖を汚す行為を目にしてきたが、それは“新しい秩序”の生みの苦しみだと見なしていた。
彼はシュメールの入り口であるハランから最後の突撃を計画し、イシュクルの領地の端に位置するハランから、軍勢の召集を命じた。
ハランに逗留して 24 地球年が経過すると、降りて来た他の「神々」に手当たり次 第、マルドゥクは涙ながらに懇願した。
彼は自分の非を認めたものの、支配権を強く主張し、こう言った。

「おお、ハランの神々よ、裁きを下す偉大なる神々よ!私の秘密を聞いて欲しい。私はベルトを結びながら思い出すのです。私は神マルドゥク、偉大な神、わが領地ではラーとして知られている。私は罪を犯して追放され、山岳地帯へ行き、多くの国をさ迷った。太陽が昇るところから、太陽が沈むところまで行った。そして、イシュクルの領地へ私はやって来た。24 年間、私はハランの真ん中に巣篭もりし、その神殿で神託を求めた。いつまで待つのか、私は自分の支配権について、神官に尋ねた。あなたの追放の日々は終わった、とそう言った。ですから、宿命を定める偉大な神々よ、自分の都に向かって進路を取らせてください。我が神殿エサギルを終の住み処とし、バビリの王を任命させてください!私の神殿にすべてのアヌンナキの神々を集め、私と協定を結んでください!
fromエンキの失われた聖書

最期

聖書にはそれ以上の記述はなく、史実的にも実証できないが、外典である『ペトロ行伝』にも見られる聖伝ではローマへ宣教し、ネロ帝の迫害下で逆さ十字架[18]にかけられて殉教したとされている。伝承では67年とされる。また同じ伝承によると、ペトロが迫害の激化したローマから避難しようとアッピア街道をゆくと、師のイエスが反対側から歩いてくる。彼が「主よ、どこへいかれるのですか?(Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスは「あなたが私の民を見捨てるのなら、私はもう一度十字架にかけられるためにローマへ」と答えた。彼はそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻ったという。このときのペトロのセリフのラテン語訳「Quo vadis?(クォ・ヴァディス)」(「どこへ行くのですか」の意)はよく知られるものとなり、1896年にはポーランドのノーベル賞作家ヘンリック・シェンキエヴィチがローマにおけるキリスト教迫害を描いた同名小説を記し、ハリウッドでも同名タイトルで映画化されている。

こうして、イエスに”石”と呼ばれた男はズル賢い取り巻き連中(宦官)に偶像化され、利用された挙句始末され、小物達に支配を乗っ取られたのであった。

現在に至る。

・・・
転がる石=ろっけんろー♪