処女とユニコーンの角

ca. 1602 — The Maiden and the Unicorn by Domenichino — Image by © Alinari Archives/CORBIS

髪の毛も追いつけない程に、7歩先を読んで走る経営者。借金でレバレッジを効かせる孫正義氏のソフトバンクが、ユニコーン企業への出資のやり過ぎでヤバいとか。確率論なので、ベンチャーが成り上がったところに出資して、運良く世界レベルになれば、ぼろ儲けかもしれんけど、ユニコーンと言う位だから、実際は神話のように珍しい事なのだろう。

そもそもユニコーンて何?

実在しない生き物だから、何かのシンボルなのだ。こういうのは、よくよく調べると、意外なものが出てくる。

オトコのシンボル~

ユニコーンwiki

フィシオロゴス

ユニコーンのヨーロッパ伝承の三つ目の経路は、初期のキリスト教徒達の教本となった『フィシオロゴス』(Φυσιολόγος, 「自然を知る者、博物学者」)と呼ばれる博物誌である。この書は、動物(空想上の動物を含む)、植物、鉱物を紹介して宗教上、道徳上の教訓が、『旧約聖書』、『新約聖書』からの引用によって表現されているものであり、のちの中世ヨーロッパで広く読まれる『動物寓意譚』の原典になったと言われるものである。原本はギリシア語で書かれ、各章には、まず聖書の言葉が述べられ、その後にその生き物についての自然科学的な解説が続き、最後には道徳的な教えが述べられている。その第22章では以下のように書かれている。

詩篇作家(ダヴィデ)は言う。「主は私の角をモノケロース(一角獣)の角のように高く上げられる(『詩篇』第92章第10節)」と。フィシオロゴス(博物学者)はモノケロースが次のような性質を持つと言う。モノケロースは小さな獣で雄ヤギぐらいだが、途方もない勇気の持ち主であり、非常に力強いため、狩人も近づくことができない。それは頭の真ん中に一本の角を持っている。

さてどうしたらこれを捕まえられるだろうか。美しく装った汚れのない処女を近くに連れて来ると、それは彼女の膝に飛び乗って来る。そこで彼女はそれを飼い馴らし、王たちの宮殿へ連れて行くのである。

この生き物は、わが救世主の姿に引き写すことができる。なぜか。私達の父の角がダヴィデの家から蘇り、救いの角となられた(『ルカによる福音書』第1章第69節)。天使の力ずくでは、彼を打ち負かすことはできなかった(『ペテロの手紙一』第3章第22節)。彼は真実かつ純潔な処女マリアの胎内に宿った(キリストの受肉)。言葉は肉となり、私達の内に宿ったのである(『ヨハネによる福音書』第1章第14節)。–『フィシオロゴス』第22章

ユニコーンを捕まえるには、「美しい処女」が必要。なぜ?

ところで英国王室のシンボルにもあるように

ユニコーンはウマとして描かれる。しかも、何故かライオンと一緒。

しかし、もともとはウマではなく、ヤギだったとか。

ユニコーンwiki

原文のヘブライ語聖書では、一度だけ額に一本の角の生えた動物が出てくる。預言者ダニエルが自分がスサの城砦に誘拐される幻想について語る『ダニエル書』第8章である。しかし、この無敵の一角獣も現在では「野牛」と訳されてしまっている。ダニエルはベルシャザル第3年にウライ川のほとりで二本の角のある雄羊を幻視する。

私が目を上げて見ると、見よ、一頭の雄羊が川(ウライ川)の前に立っているのが見えた。それには二本の角が生えており、二本とも長いが、片方はもう片方より長く、長い方は後から伸びたものであった。私は、その雄羊が西に、北に、南に突き進むのを見た。いかなる獣もこの雄羊には太刀打ちできず、その手から救い出せる者もいなかった。そして、この獣は自分の欲することをなし、大いに高ぶった。–『ダニエル書』第8章第3 – 4節

そこへ西から一頭の雄山羊がやって来た。

そして、私がずっと思い巡らしていると、見よ、一頭の雄山羊が西の方から全地の表を飛び渡って来たが、その肢は土を踏まなかった。これは目の間に堂々たる一本の角を持っていた。そしてこの雄山羊は、二本の角を持つ雄羊の所までやって来た。雄山羊は猛烈な怒りを抱いて雄羊に向かって走って来た。そして私は雄山羊と雄羊がぶつかり合うのを見た。雄山羊は雄羊に対して激しい敵意を示し、これを打ち倒して、二本の角を折ったが、雄羊は立ち打つことができなかった。こうして雄羊を地に投げ倒し、踏みつけたが、その手から救い出せる者はいなかった。そして、その雄山羊は大いに高ぶった。しかしこの雄山羊が最強になったとき、その大いなる角は折れ、四本の堂々たる角が生え、天の四方の風に向かった。–『ダニエル書』第8章第5 – 8節

この幻視はこの後、ある声によって預言者ダニエルに、「ギリシアの王」すなわちアレクサンドロス3世(大王)によるメディア王国とペルシア帝国の破滅を意味するものと告げられる。つまり強大な角を持つ雄山羊の最初の一本の角はアレクサンドロス大王を表し、その後に生えた四本の角はアレクサンドロスの後継者を名乗るディアドコイの王たちを表している。

このヤギは何者か?遡ると、

エンキwiki

エンキを表す象徴には、山羊と魚があげられる。両者はのちに統合され、黄道十二星座のやぎ座を象徴する怪物カプリコルヌスとなった。また、シュメールの天文学においては、地上から見た位置変化のスピード、太陽からの距離が近いなどの点から、エンキは水星の象徴とされた。

話は飛んで、聖書に残る不貞行為。

サムエル記下(口語訳)第11章

2 さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。

3 ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。

4 そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうして女はその家に帰った。

5 女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った、「わたしは子をはらみました」。

話を戻し、ヤギのおっさんとライオンとの関係。英国王室のシンボルの解。

エンキwiki

ウルクのエアンナ寺院の若い女神イナンナにまつわる神話「エンキとイナンナ」によれば、あるとき、年老いたエリドゥの神エンキが訪れ、饗宴のもてなしを受けた。その宴においてエンキは、イナンナにビールをすすめて誘惑しようとしたが、彼女は純潔を守った。反対に、エンキは酔っ払ってしまった。そして彼は彼女に気前よく、文明生活の恵み「メー」をすべて与えてしまった。次の朝、二日酔い気分で、彼は召使のイシムード(英語版)にメーのありかをたずねたが、そのとき初めて彼はメーを失ったことを知った。彼は取り乱し、メーを取り戻すためにガラの悪魔を差し向けたが、イナンナはその追跡から逃がれ、ウルクの川岸に無事たどりついた。エンキはだまされたことを悟り、最終的に、ウルクとの永遠の講和を受け入れた。この神話は、太初において、政治的権威がエンキの都市エリドゥからイナンナの都市ウルクに移行するという事件を示唆していると考えられる。

日本の、「八つの股」の「蛇」の昔話の起源でもあって、シンボルは「タコの足」でも表現できる。のび太がドラえもんに疑問を呈したように、ヘビの首が8本では、7股になってしまう。

ライオンの正体は、娼婦のマリア。

イナンナwiki

イナンナ(シュメール語: 𒀭𒈹、翻字: DINANNA、音声転写: Inanna)は、シュメール神話における金星、愛や美、戦い、豊穣の女神。別名イシュタル。ウルク文化期(紀元前4000年-紀元前3100年)からウルクの守護神として崇拝されていたことが知られている(エアンナ寺院に祭られていた)。シンボルは藁束と八芒星(もしくは十六芒星)。聖花はギンバイカ、聖獣はライオン

イシュタルwiki

豊穣神であるイシュタルは、多産を司る性愛の女神としても知られ[11]、夫を持ちながら120人を越える恋人を抱えていたという[12][注 1]。加えて、イシュタルは彼らと休まず性交を行ってもまるで疲れを知ることはなかったとも伝えられている[12]。そのためイシュタルは娼婦の守護者でもあり、イシュタルの神殿には神聖娼婦が勤めを果たしていたほか[13]、「アシンヌ」と呼ばれる女装の青年が仕えていたとする説も存在する[14][注 2]。また、性愛を司るイシュタルが不調(もしくは不在)になると、多くの生命が繁殖活動をやめ地上に不毛をもたらすことが後述の『イシュタルの冥界下り』で描かれている。

それ、「処女」じゃないだろ?

聖書での、「ダビデと人妻バテシバ」の元ネタ。これもヤギのおっさんの不貞行為。

白人種誕生と古代の間男

つまるところ「ユニコーンの角」というのは・・・
OMG!

「処女懐胎」なんて、ウソつくなよ。

近代文明、ホンネを、ありもしない偽善で誤魔化す、コンプラ・コレクトネスの偶像崇拝。神々の時代の言い伝えを、正直に伝える事が出来る社会にならないと、幾らデータを暗記しようが、チキュウジンたちは「サル」のままだろうね。

この手の謎解き、オラは無限に出来るようになってしまった。カネにならんのが困ったもの。

この主題歌の、古い映画みたいなチャレンジがあれば、カネになるのだけんども。