再帰性による国家右翼の黄昏

靖国神社近くの路上で「靖國會」事務局長が割腹自殺を遂げたらしい。ニッポン人の愛国心喪失。天皇陛下が靖国神社を参拝しないことが原因だという。

割腹自殺といえば文豪、三島由紀夫。

「文化防衛論」。天皇が「現人神」でいてくれなければ、ニッポンという国家は滅びてしまう。彼は国家の成り立ちを「社会契約」ではなく「保護観察機能」と解説。

ニンゲンは自然状態だと、自分が何やらかすのかおっかなくて、互いに傷つけあうようになるのが怖い。お互いから身を守るため、権力を作り、ルールを制定してもらい、守ってもらう。やがて権力が自分自身の保護をするため、さらに権力を組織し、国家組織へと成長する。

その時点で私は、「おや?」と思ってしまう。自分が怖くて他人にルールを決めてもらうなんて、おかしくないか?自分で考えればいいじゃん、と。

確かに、戦前の旧憲法はカトリックなので、イエス・キリストである「現人神」がいなければ、法律(戒律)が成り立たなくなる。
しかし「神不在」の戦後への変化は、意図的に与えたものだとしたら?最終的に「国家」なんて滅びるべきだ、と。私には、何やらパンピーに教育を施してるように思えるが?

経済危機、環境汚染、気候変動に不治の病。今更誰かが「現人神」を演じても、制御出来ない問題だらけ。

世の中複雑になり過ぎた。今更「お祈り」では、どうにもならない。

ヒトラーの予言みたいに、人類の一定%がGODに進化、新技術を発明し、リアルに奇跡を起こさないとムリだろ。そういえば五島勉氏に「ヒトラーの予言」を研究するよう勧めたのも、三島由紀夫氏。

「復讐するは我にあり」

私はもう、コンプラ・コレクトネスの「サル山ニッポン」には飽き飽きしたんで、さっさと次のステージへ進めて欲しい。「どうにか現状を変えたい」という、当時の三島氏の気持ちは、よく解る。現状がイヤでイヤでしょうがなかったのだ。

理解困難な「唯識論」、仏教の哲学。「輪廻転生」の本当の意味を理解した文豪。なぜ戦前回帰の「天皇の神格化」だったのか?今みたいに情報が無かったから仕方なかったのか?

ミシマはカラダを鍛え、自衛隊へ体験入隊。そこで「武士道」を見出した。ニッポンを変えるには、現代の「武士」に決起してもらうしかない。いざ属国から脱却。不正規軍の「自衛隊」を正規軍へ。右翼組織「盾の会」を結成。

最期の日。昭和45年11月25日。自衛隊トップを人質にクーデター。自衛隊員を集め、「決起」を訴えた。

ミシマの演説は、罵声に掻き消される。決起せず。
自衛隊員は「武士」ではなく「サラリーマン」だった。世界的文豪も、サラリーマンを覚醒させる事は出来なかった。

皇居に向かって「天皇陛下バンザイ!」。割腹自決。

奇妙なのは、自決の日。三島氏の誕生日、1月14日の「77日前」。小室直樹氏が指摘した、三島由紀夫の「なぞなぞ」。

遺作「豊穣の海」4部作の、「清顕」。死後7日~77日で転生が起こるという話。しかし物理的に「生まれ変わる」という転生が起こるのではない。主人公が抱く転生の思いは、最後に否定される。

唯識論。意志が情報と一緒になり、認識を与え、また意志が情報と一緒になり認識を与える。そんな理論だったと思う。一般的意味の生まれ変わりではないが、転生したかのような偶然が起こる。

唯識論から、私はジョージ・ソロスの再帰性理論を思い出した。マチガイの認識がマチガイの選択を生み、マチガイの選択がマチガイの認識を生み、マチガイの認識がマチガイの選択を生む、ループ現象。

法律=クソ

だから、経済の数学が効かず、バブルと暴落を繰り返す。相場は必ず間違える。

ニンゲンの歴史は、ソロスの再帰性。

劇的に修正されるハズ。