11月25日で世界史が終わる理由。ミシマの自決と宇宙論

実在するものは脅かされない。
実在しないものは存在しない。
ここに、神の平安がある。 
ACIM

唯物論か?唯識論か?

相場は時々外すが、世の流れを大まかに当ててしまう、民間シンクタンクの原田氏によると、明日、11月25日午前で、世界史が終わってしまう。なぜか?

しかし、誰も彼も直観力が鋭いワケではないので、現象化には、数か月~1年かかるだろ。

11月25日といえば、三島事件。

「文化防衛論」。天皇の神格を復活し、主君に仕える武士道を、日本文化として復活させる試み。
1970年、文豪三島由紀夫が、憲法改正のため、総監を人質に取り、自衛隊にクーデターを呼びかけたが、決起ならず、割腹自殺。

結局、三島氏が唱えた文化防衛論は、認識の誤りだった。

文明のステージ論

しかも、そもそも「武士道」は、信長が導入した、「復讐の民」起源の、統治テクニック。

今の「霞が関」は信長が焼き討ちした「比叡山」

今じゃ、もっと酷い。
男系?女系もOK?他人がよその家の後継ぎを議論。失礼なんじゃないの?天皇家の勝手に任せとけば?

しかし、誰も三島氏をバカには出来ない。
誰も彼もが、認識を誤ってる。根本から間違えている。
主観的な善悪判断を、他人が勝手に決める法律、実体経済と乖離した金融経済。
在りもしないものを、いくら「在る」と言ったところで、実体が無いのだから、皆が事実に気付いた時、一気に崩れる。

故に、歴史が終わる。

ところで、三島氏が小説のテーマに扱った、輪廻転生。仏教の「唯識論」というのがある。
極端な解釈は、「私が認識してるから、世界は存在する。私が死んだら、世界も消えるはず」、と。

メカニカルには、阿頼耶識(環境、潜在意識)が末那識(自我意識)を産む、連鎖反応。
正しく機能すれば悟りに至るが、間違えば、ありもしない自我を、実在すると勘違い。

こんな説明で合っているのか?ウィキから抜き出し。

阿頼耶識

「阿頼耶識」は、サンスクリットの ālaya( आलय) の音写と、vijñāna(विज्ञान) の意訳「識」との合成語[2]。

ālaya の語義は、住居・場所の意であって、その場に一切諸法を生ずる種子を内蔵していることから「蔵識」とも訳される。「無没識(むもつしき)」と訳される場合もあるが、これは ālaya の類音語 alaya に由来する異形語である。旧訳では阿羅耶識、阿梨耶識(ありやしき)」。また、蔵識(藏識)、無没識(むもつしき)」とも訳し、頼耶識、頼耶等と略されることもある。

はたらき

ある人の阿頼耶識は、蔵している種子から対象世界の諸現象<現行(げんぎょう)法>を生じる。またそうして生じた諸現象は、またその人の阿頼耶識に印象<熏習(くんじゅう)>を与えて種子を形成し、刹那に生滅しつつ持続(相続)する。

この識は個人存在の中心として多様な機能を具えているが、その機能に応じて他にもさまざまな名称で呼ばれる。諸法の種子を内蔵している点からは一切種子識(sarva-bījaka-vijñāna)、過去の業の果報<異熟(いじゅく)>として生じた点からは異熟識(vipāka-vijñāna)、他の諸識の生ずる基である点からは根本識(mūla-vijñāna)、身心の機官を維持する点からは阿陀那識(ādāna-vijñāna、執持識/執我識。天台宗では末那識の別名)と呼ばれる。

法相宗の説

唯識法相宗は、万有は阿頼耶識より縁起したものであるとしている。それは主として迷いの世界についていうが、悟りの諸法も阿頼耶識によって成立すると説くので、後世、阿頼耶識の本質は、清らかな真識であるか、汚れた妄識であるかという論争が生じた。

末那識wiki

末那識(まなしき、梵: manas[1])とは、阿頼耶識を所縁(=対象)とする識である[1]。また、眼、耳、鼻、舌、身、意という六つの識の背後で働く自我意識のこと[1]。「manas」は玄奘の翻訳によって末那識あるいは第七識として漢字仏教圏に広まった[1]。染汚意(ぜんまい、梵: kliṣṭa-manas クリシュタ・マナス)ともいう[1]。

末那識は常に第八識を縁じて、自我という錯覚を生じる。第六識(意識、mano-vijñāna)と区別する為に、manas マナスのまま音写して末那識という。

我法二執の根本である。八識はみな思量の作用があるが、末那識は特に恒(間断なく常に作用する)と審(明瞭に思惟する)との二義を兼ね有して他の七識に勝っているから末那(意)という。思量とは「恒審思量」といわれ、恒に睡眠中でも深層において働き続け、審(つまび)らかに根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける。この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる。[要出典]

第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩、作意・触・受・想・思の五遍行別境の慧、大随惑の八(不信・懈怠・放逸・惛沈・掉挙・失念・不正知・散乱)であるとされる[要出典]。

簡単にまとめると・・・

ややこしいわ。

似たようなのを、解り易く解説したのが、投資家ジョージ・ソロスの、「再帰性理論」。
世間は間違った認識で投資行動している。だから相場は必ず間違える。投資家に認識させる環境・情報にマチガイがある。なのでクライマックスでは、バブルと崩壊が起こる。そこに大儲けのチャンスがある。

ところで近代科学のメインストリームは、唯物論。
ヒトに対しては、ネイティビズム(生来主義)か?ビヘイビアイズム(行動主義)か?生まれつき能力は決まってるのか?詰め込み教育でどうにか出来るのか?

五感で認識出来るもの、データに取れるもの、直接見れるものしか、認めない。ヒトで実験すると人道的ではないので、動物でデータを取る。
動物から取ったデータを使い、ニンゲン社会で、ソシアル・エンジニアリング。
結果、ヒトが動物化。
陣取り合戦、ステータスゲームの、サル山ユニバースが完成。

しかし最新研究では、唯識論が科学的に実証され始めてるようで、

「ホログラフィック宇宙論」

というのが面白い。

まとめて動画を貼り付け。

脳みそは、ヒトが何かをしようと決断する6秒前に、既に、行動を決定してるのだと。
認識出来ないはずの、6秒後の未来を決めてる?

話を戻し、何故、誰も彼もが、認識を誤り、間違えた世界が出来上がったか?
むかしむかし、少数が多数を支配するテクニックを編み出した者がいて、一方、「ある技術」をスピンする為、敢えてそれを利用した連中がいた。

結果、阿頼耶識→末那識の連鎖、バタフライ効果で、現在に至る。よって、ミシマの自決が蘇る。今度は此れまでの権威と権力が、すっ飛んでしまう。

唯物論か?唯識論か?
オレは融合しないとダメと思う。